人気ブログランキング |
カテゴリ
全体
千軒地域活性化構想
千軒そば屋
千軒そば(栽培関係)
ブナの森百年観察林
千軒ブナの会
大千軒岳
殿様街道
千軒そばの花鑑賞会
千軒そばの会(手打ちの会)
千軒の歴史
千軒の自然
アイヌ語地名
大千軒冬山わくわく体験塾
ワークキャンプ@森づくり
かがり火コンサート
福島町史研究会
読売 しまふくろう
その他
以前の記事
2015年 05月
2014年 04月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 05月
2012年 10月
2012年 05月
2012年 04月
2011年 12月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 01月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 09月
フォロー中のブログ


<   2006年 03月 ( 26 )   > この月の画像一覧

千軒ブナの会 発会式

e0070035_17501034.jpg

3月30日17:30より
千軒ブナの会発会式が執り行われた。

福島町長はじめ40名ほどの会員が集まった。
渡島西部森づくりセンター嶌田所長の挨拶にはじまり
つづいてセンター職員から
・現在の会員数51人(札幌・小樽・函館・厚沢部・上ノ国・七飯・北斗・木古内・松前・福島)
・千軒ブナの会の活動について
・今年の活動計画
・100年観察林の観察場所と計測方法の確認

などが説明提案され全会一致で受理された。
観察林の情報発信基地として
「千軒そば屋」を活用するため
今回の発会式を同会場で行った。
千軒そば屋のご協力をいただいて
会員は通常価格の半額400円にて
盛りそばセットを頂戴した。
by anjls | 2006-03-31 17:50 | 千軒ブナの会

「自然と歴史の里」 千軒地域活性化構想 作成なる   3月30日

e0070035_3422418.jpg

昨年10月20日の準備委員会にはじまり
4回もの議論の場を経て
「自然と歴史の里」 千軒地域活性化構想
ができあがりました。
昨夕千軒「あづまーる」にて記念報告会が開催され多くの地域住民や
関係者の方々が千軒を中心とする地域の将来像とその可能性の豊かさ・大きさを確認、熱心な意見交換会となりました。

この千軒地区未来図には、新幹線の絵も描かれています。
吊り橋構想をもつ千軒地区が道南の可能性を全国に発信し北海道の
観光の未来を新たに切り開く場として描かれました。
地域のわたしたちはこの絵を大きくかかげて前へすすむことができます。

財政難の折にもかかわらず、この未来図をしっかり応援してくださった
渡島支庁農業振興部(4月1日より産業振興部)さまはじめ
渡島西部森づくりセンターさまに福島町住民は厚く感謝申しあげます。
by anjls | 2006-03-31 03:41 | 千軒地域活性化構想

デ・アンジェリスのポルトガル語報告書

e0070035_7243786.jpg

1619年北海道へ初めて来たヨーロッパ人
ジェロニモ・デ・アンジェリス
は、松前の地で見聞した蝦夷地情報を
克明に記し、報告書を作成した。
ポルトガル語で書かれたこの蝦夷国報告書は
ローマのイエズス会本部へと送られました。

江戸の日本人よりもいちはやく
ローマの一般市民は蝦夷地情報を知っていたとか。
おどろきです。
【写真】永田富智先生資料から
by anjls | 2006-03-29 07:17 | 千軒の歴史

金山番所 江戸時代初期遺構 千軒岳

e0070035_737331.jpg

そこは、上、中、下の三段に分かれ、三方を石垣に囲まれた、古い時代にはいかにも建物が建っていたらしく見える平地である。
 石垣の積み方を見ても、表面より奥行きが長い。使用された石は、自然石を割ったものである。これは、「乱石積み」といわれる積み方で、表面は粗末に見えるが、非常に丈夫な方法で、江戸時代初期のものである。松前藩が近世初期、福山館を修造したときは、この千軒岳の工夫を徴用して石垣を築いている。工夫たちは、同じ手法でここも築いたのだろう。-「えぞキリシタン」永田富智先生著講談社刊P72より-

【写真】1998.07.26撮影、福島町商工会青年部による遺構調査測量状況

ちなみに、この石積遺構には税を徴収する御番所という役所があったといわれている。今は金山(かなやま)番所と呼ばれています。
→千軒地区にはもう一カ所御番所があった。いまの、国道228号綱配橋の右岸に下りの坂があるが、その名を番所跡があったことから「御番坂」という。
後世、音読み表記が別の意味に転用表記され、「(御番)ゴバン坂」→「碁盤坂」(国鉄時代は駅名)となった。殿様がこの坂で囲碁を打ったなどとの新説までも生まれたのです。おもしろいですね。
by anjls | 2006-03-28 07:37 | 千軒の歴史

オリカナイ村から福島村へ 寛永元年

よく、福島町は福島県人が住みついた場所ですか。
と尋ねられることがあります。
答えはNO。
福島町史通説編に解答がありましたので
お知らせいたします。

元和三年(1617)千軒金山発掘以来
オリカナイの村には
不漁不作プラス数々の火災
がつづきますが
その不幸を取り払うための改名
だったようであります。
変えなさいと命じたのは
今現在も
福島町月崎の海岸に鎮座まします
月崎明神さまでした。
改名後は
多漁豊作繁栄ノ村
となったようであります。
そろそろ、次回の
ご神託?いつでしょう。
e0070035_520167.jpg

【写真】月崎神社(H17=2005年の福島大神宮祭礼2日目)
----------------
『常磐井家福島沿革史』 で折加内(おりかない)村が福島村と改村したのは寛永元年(一六二四)であるといわれるが、 その記事として

金掘等金山祭ノ爲メ千軒岳ノ麓ナル隅 (住) 川へ祠ヲ建テ千軒山三社大明神ト尊敬シ奉レリ、 元和三年(1617)金山発掘以来村内不漁不作ニノミ打続キ戸数僅カニ四十戸ニ及ベリ、 火災数々起リ今ヤ当村中絶ニ至ラントセリ、 時ニ月崎明神ノ神託アリ、 ヲリカナイ村ヲ改メテ福島村トセヨトノ仰ナリ、 仍リテ松前志摩守公広ヘ右之趣キ申上改村ノ件願出タル処、 御聴済トナリ夫ヨリ多漁豊作繁栄ノ村トナリタリ、 其御礼トシテ御城内ノ正月ノ御門松ヲ年々献上スルヲ例トセリ… (以下略)

とあって寛永元年改村して福島村となったといい、 吉岡村についても 『凾館支廳管内町村誌 其二 吉岡村』 で、 「本村元ハ穏内オムナイト称セリ、 蝦夷語ニテ意ハ 「尻の塞ふさがる川」 ナリ土地濘葮叢生ねいとうよしそうせいセシ所ナリシヲ以テ里人葮岡ヨシオカト称シタリ、 寛永ノ頃ヨリ吉岡ト吉ノ字ヲ用ヒタリト伝フ」 とあって、 福島村と期を同じくして改村している。 このようなことから見ると、 近世の松前藩体制のなかでこの寛永期 (一六二四~四三) に、 小集落から村としての格付けがされて行ったのではないかと考えられる。
--以上、福島町史通説編(上)より--
by anjls | 2006-03-27 04:45 | 千軒の歴史

古文書にみる「殿様街道」@箱館紀行より

e0070035_65847.jpg

是より両山漸々(しだいしだい)相逼(せま)り、澗水を渉ること幾回(あまたた)び、雑樹歩々に盛蕪(しげり)し、日光をどざして蓊勃(オウボツ)たる経路(ミチ)を一里ばかり辿りて、はじめて嶺(トウゲ)に係る。是を福島嶺(トウゲ)、または尻内越(シリウチゴエ)とも云う。その道九折羊腸を上ること六七丁((「町」とも書く)距離の単位。1町は60間。約109メートル強)、又下り行くこと五六丁にして山ようやく開らけ、平坡(つつみ)を一里ばかり過て一戸の茅舎あり、酒菓を販(ヒサ)ぐ。主の名は与助と云ふとぞ。此道の次十十間ばかりに巨大の杼樹(トチノキ)あり。その両叉に松樹の寄生(ヤドリギ)有て、倶に繁茂す。松前候も殊に愛(メ)で玉ひしか、三年可(バカリ)のサキに枯れたりとて、当下(イマ)はその根のみ形を存(ノコ)せり。又この茅屋を去ることわつかにしてサカあり。マガリクネリして一丁可(バカリ)登り、忽(タチマ)ち平地に出て十四五丁過ぎ、又マガリクネリを蹈(ふ)み、半ミチばかり下りて川あり。巾十間ばかり、大材を以て橋を架(ワタ)せり。此川平流にして急ならず。石も大ならずして砂礫多く、すべてこの山中の渓流ミナ爾(シカ)なり。是より平坡(つつみ)昇降一程(り)可(ばかり)にして、又一区の家あり。主を甚左衛門と云ふ。是は旅客の労を助けんタメに、松前候にて造立のよしにて、柱梁の結構富有の家のごとし。此土(ところ)を一ノ渡リと云ふ。この先一里半ばかりの間に五番坂、鍋こわし坂など云ふ小嶝(さか)あり。-八坂書房「箱館紀行」平尾魯遷安政3年(1856)P141福島村より-
by anjls | 2006-03-24 06:29 | 殿様街道

「千軒ブナの会」発会式のご案内

e0070035_20565135.jpg

千軒も雪解けまぢかですが、春の芽吹きとともに
いよいよ「千軒ブナの会」が発足いたします。
下記御案内申しあげますので、ご希望の方は
ご連絡ください。
「千軒そば屋」さんのご協力に感謝申しあげます。
-----------------------------                    
                                 平成18年3月17日
千軒ブナの会会員各位

                        
                      (千軒ブナの会事務局)
                     渡島西部森づくりセンタ一 嶌田 康之

         「千軒ブナの会」発会式のご案内

 雪解けも進み、ブナの芽吹きの待ち遠しい今日この頃ですが、皆様にはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
 さて、このたびは「千軒ブナの会」にご入会いただき、誠にありがとうございます。現在まで20名ほどの方から申し込みをいただいており、森の雪解けを待って、本格的な活動を始めたいと考えております。
 つきましては、次のとおり「千軒ブナの会」の発会式と意見交換会を行いますので、ご案内申し上げます。

      
                     記


と き:平成18年3月30日(木) 17:30~18:30

ところ:「千軒そばの店」(福島町千軒)

※ 出欠につきまして、3月23日(木)までにご連絡ください
  連絡先:渡島西部森づくりセンター   担当:羽生、中山
          0139-42-2013

(当日は、千軒の十割そばでも食べながら、これからの活動内容等について、気楽な話し合いをしたいと思っています。なお、参加される方は、恐縮ですが、そば代として400円の負担をお願いします)
by anjls | 2006-03-23 20:26 | 千軒ブナの会

アイヌ語地名@福島町内

道南はアイヌ語地名の宝庫です。
町内にあるアイヌ語地名の代表例をお知らせいたします。
地名の意味が解ると、
自分の住むまちがふしぎと新鮮に感じられます。
---------------------

矢 越  ヤ ク シ  内 陸 を 通る 所


白 符  チ ロ プ  鳥 の 多 い 所


宮 歌  ミ ヤ オ タ  ミ ヤ ・ 砂 浜


礼 髭  レ プ ン ゲ プ  海 と な る 所(字吉野)


( 字 岩 部 )  シラットカリ  岩 磯 の 此 方


( 字 塩 釜 )  カ マ ヤ  平 べ っ た い 岩


( 字 日 向 )  ピカタトマリ 西 南 の 風 の 泊 所


( 字 日 向 )  シットマイ  海 岸、 岬


( 字 松 浦 )  ソ ッ コ  滝 の 川


( 白 神 岬 )  シ ラ カ ミ  潮によって被われる地


----以上、福島町史概説編(上)より-----
by anjls | 2006-03-23 06:49 | アイヌ語地名

沖停泊2日目

e0070035_16563551.jpg

昨日の画像、矢越岬沖合に今日も沖泊の大型船が滞在。
やはり、台風並みの大風でした。

○撮影場所は木古内 釜谷地区
さて、「カマヤ」とはどんな意味でしょう。
アイヌ語で「平らな岩の海岸」とか。
地名の由来どおり平磯がつづく場所ですね。

実は、福島町の塩釜という場所は
地元では「釜谷(カマヤ)」と呼ばれています。
そうです。
即ち、「平らな岩の海岸」地帯なのです。
アイヌ語地名には、地形や地勢が表現されています。
地域の謎解きのヒントが隠されて楽しいですね。
by anjls | 2006-03-22 16:57 | アイヌ語地名

1856-1916-2005 福島町前浜の変遷

e0070035_413039.jpg

津軽海峡に面した福島町の前浜を150年に渡って比較することができます。
【写真上】1856年平尾ろせん(安政3年)作画「箱館紀行」福嶌邑(ふくしまむら)磯頭之図より(旅をしたのは安政2年)
【写真中】1916年(大正5年)「渡島支庁管内町村誌」より北海道立文書館所蔵
【写真下】2005年(平成17年)9月例大祭の日に福島大神宮境内から
写真の特徴
○上・中の写真に共通→帆掛け船が写っている。
○山並(池の岱・丸山・岩部岳)は火山噴火の跡を物語っている。
○1623年ゴールドラッシュ:写真右端の海岸にある「舟隠し」という岩場からこの山々を越えて左方向にそびえる千軒岳(写真には写っていない)金山へと隠れキリシタンたちは進んでいったのです。
by anjls | 2006-03-22 05:35 | 千軒の歴史